機関車を受け取りに行きました

 予約していたマイクロエースC53流線型を受け取りに行きました。1月に再生産の告知があった後、すぐに予約したので8カ月待ったことになります。2001年の初回生産以来生産が無く、プレミアが微妙についていたり、品薄だったり手に入れられず仕舞でした。独特な形状が魅力的です。

 輸送力の増強や客車の金属車体化による重量増大対策を目標に昭和3年から昭和5年にかけて97両製造された東海道本線山陰本線向けの旅客用蒸気機関車です。出力確保のために通常の2シリンダーからより高い限界性能を狙える3シリンダーになっているのがこの機関車の特徴です。本来はこの機関車も通常の機関車と同じような形態をしているのですが、この当時流行であった流線型を取り入れるため、C53の43号機に金属製の流線型カバーが取り付けられました。デビュー当時は外見ばかりでなく、乗り心地においてもかなりウケが良かったそうです。ちなみに100km/h未満程度の運転では現在の新幹線のような流線型効果による空気抵抗の低減はほぼ無いそうです。

 運転室から後部の炭水車(石炭、水を入れておく機関車の燃料タンクのような物)にかけても流線型カバーが取り付けられました。製造直後は茶色に塗られていたとか。当時を知る写真資料は本当に僅かです。なにせ鉄道の写真を取りまくっていたらスパイ容疑をかけられてもおかしくない時代です。

 しかし、優雅な流線型車体も運用に関しては仕事を増やすばかりの代物でした。重量のある流線型カバーを外した後に整備をし、整備後カバーを戻すなど整備の煩雑さを招きました。その後に太平洋戦争による影響や流線型ブームが廃れたことによりC53は通常タイプに換装されてしまいます。C53をさらに追い込んだのは構造が複雑すぎるゆえの信頼性の低さや整備性の悪さでした。それでも戦時中に逼迫した輸送需要を支え続けましたが、ほかの蒸気機関車が活躍し続ける昭和25年にすべてのC53は運用を終えました。
 陸蒸気から新幹線まで!いろいろな車両をタイムスリップさせることができる楽しい趣味だと思います。